2006年10月
西田幾多郎の言葉
「ただ一つの思想を知るということは思想というものを知らないというに同じい」(西田幾多郎『続思索と体験以後』)
一つの思想に寄りかかりすぎるのは考えものだ。理想的な共産主義社会は完成し得なかったし、資本主義がわれわれを無条件に幸せへと誘ってくれるものではない。
僕もわりあい一つの思想に染まってしまったり、凝り固まってしまったことも少なからずあるので、自戒の念をこめて、西田幾多郎のこの言葉を心に留めている。
一つの思想やイデオロギー、アプローチに頼るのは便利だし、心強い。しかしながら、それは現実をとらえ、うまく打ち返す上で常に有効だということは言えないし、まったくの見当違いと言うことも大いにあり得る。
そういった意味で、うまく身の回りにある思想やイデオロギー、アプローチとの距離感をとることを自分に課していかなければならない。自分をアンビヴァレンツな状態に落とし込むことを楽しむくらいの余裕が常に必要だろう。
「生活世界」「システム」そしてブログ
吉田 純(『インターネット空間の社会学』を読んでいると以下のような件(くだり)があった。
このような現象的な流れは、僕の場合、ブログを通して経験的に理解していると言っていい。 Read more …表現の自由とネットワーク管理の矛盾という問題も、やはりミクロからマクロへと電子民主主義が実践される空間が拡大することによって顕在化したと考えられる。ミクロな仮想空間では比較的成員が限定され、また自律的な規範形成がおこなわれやすいため、ネットワークの乱用という問題は生じにくかった。しかし空間の規模が拡大すれば匿名的参加者とともに逸脱行動が増加し、自律的規範形成は行われにくくなり……pp137-138
ところざわまつり

昨年のこの祭りの日、南実が生まれて間もないと言うことで、奥さんと南実の二人は奥さんのご両親の住む山梨県の方に身を寄せていた。そういったわけで昨年は一人だったこともあり、夜に一人で少しだけぶらついただけだった。
今年、南実にとってはじめてのところざわまつり。祭りという概念自体南実にあるかどうかわからないが、普段の街角が人々でにぎわっていて、平生とは異なる雰囲気を彼女なりに味わえたはずだ。浅草サンバカーニバルのパレードの時は、拍手しながら喜んでいる様子だった。
南実の成長は著しく、体重は十キロ近くになり、簡単なコミュニケーションもとれるようになった。今や家族の一員、いや中心といっていい存在だ。いくつか言葉やジェスチャーも覚えた。はじめは「いない いない」で、次に「パパ」「ママ」といった具合だ。また、二日ほど前から数歩ずつ歩くようになった。
今日は、快晴の秋空で、夜風が若干冷たかったが、空気が乾いていて日中はとても過ごしやすかった。昨年よりも、人出は多くなったと感じた。そして、昨年のように一人ではなく家族だと祭りはさらに楽しめるな、などとしみじみ思った。
Opus-Medium Ecological Ritornello
以下のチラシのデザインは僕が担当しました。
